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サラリーマンの鶏肋随想

大して役に立たないが、捨てるには惜しいもの。サラリーマンに哲学は必要か。

古典のススメ ~どんな本を読めばよいのか?正直フィーリング次第でよいかと~

こんばんは。川崎 那尾道です。関東地方11月の雪、ホント驚きでしたね。

 

僕自身、割と本を読む方だと思っており、周囲の皆さんもそう思っているようで、よく「どんな本がおススメ?」と聞かれます。案外これは非常に困る質問で、「その人その人のフィーリングで合う本を読めばいいのでは?」と、思わず身もフタもない回答しそうになるのをいつもグッと抑えています。

 

小説ならあの人がいいとか、新書なら最近これが売れているとか、ビジネス書はこれが必読だとか、ネタは尽きませんが、個人的には「冊子を読む行為」が伴えば何でもいいと思っています。極端な話、漫画でもよいかと。色々考えさせられる秀逸な漫画はたくさんあります。

 

そんな風に思ってはおりますが、あえておススメするのであれば、僕としては「古典」でしょうか。いわゆる『源氏物語』とか『古事記』とか、高校の古文の授業で学んだようなものではなく、ここでは「昔から読まれ続けている書物」を指しています。分かりやすく言えば「岩波文庫」に収められているようなものです。

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会社帰りに書店に立ち寄れば、入口には「平積み=本を積み上げて陳列すること」や「面陳(めんちん)=表紙をオモテにして陳列すること」でベストセラー書籍が並べられています。もちろんそれらの書物も売れているのはそれなりの理由があるのでしょうし、タメになることがたくさん書いてあると思います。

 

でも、もし時間が許すのであれば、是非店の奥の方にある小難しそうな「薄茶色」の背表紙が並ぶ文庫売り場に立ち寄ってみて下さい。そこにはなんとなく国語や歴史の授業で聞いたことがあるようなないような題名の書物が並んでいます。

 

例えばローマ五賢帝の一人、マルクス・アウレリウス・アントニヌスの『自省録』。書かれたのは彼が生きた紀元後100年代。約1900年前のものです。紙がまだ発明されていない時代、パピルスに書いていたのでしょうか。そんな時代に書かれたものが数百円で手に入って日本語で読める。なんだか不思議な感覚になります。

例えばマーク・トウェーンの『王子と乞食』。小さいころに絵本で読んだことがある方もいるかと思いますが、こんなのも一緒に並んでいます。こちらは19世紀後半の作品です。ちなみにNHK連続テレビ小説の「花子とアン」で描かれた村岡花子が訳者です。ドラマで描かれるような人が実際に訳したものを読むことができるのです。

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ちょっと年代にバラツキが出てしまいましたが、これら書物の共通点というのは、「人類の悠久の歴史の中、様々な時代背景のもと、様々な人に読み継がれ、様々な批評に晒されながらも、その価値が認められてきた」ということではないかと思います。きっと人類の普遍的な価値観というものに少なからず触れているのでしょう。

 

今書店に並んでいる本のうち、100年後も読み続けられている本が果たしていくつあるでしょうか。ましてや1000年後ともなるともう気が遠くなる気持ちになります。しかし今目の前には実際に100年以上、中には1000年以上も前から「すでに生き残ってきた書物=古典」が一生かかっても読み切れないほど存在しているのです。

 

古典の世界を語るにはまだまだ経験不足であることは重々承知しております。何となく「座右の書」的なもの出会い始めた今日この頃では、ようやくその世界の入口に立っているのかなと思っています。

ところで、古典を全く読んでいない人は実は幸せなのかもしれません。なぜなら、これからたくさんの古典に出会い、たくさんの気づきに触れる機会にあふれているからです。

その本を手に取って読んでみることに特別な理由は必要ありません。「何となく引っかかるものがあった」というフィーリングがすでに十分な理由なのだと思います。

 

※古典をススメる人は往々にして同じようなことを述べていると思われます。しかしこれらの所見も、古典の持つ普遍性のなせる業なのかもしれません。

 

 

 

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