サラリーマンの鶏肋随想

大して役に立たないが、捨てるには惜しいもの。サラリーマンに哲学は必要か。

『柿の種』 ~寺田寅彦という人~

「棄てた一粒の柿の種 生えるも生えぬも 甘いも渋いも 畑の土のよしあし」

寺田寅彦『柿の種』岩波文庫: p10より抜粋)

 

ビールのおつまみではなく、本の題名です(笑)

 

寺田寅彦(てらだとらひこ)は1878年(明治11年)~1935年(昭和10年)を生きた戦前の物理学者です。物理学者と聞くと難しい数式とにらめっこしているイメージがありますが、寺田寅彦という人は随筆家でもあり俳人でもありましたから、今どきな表現で言えば多才な理系・文系の両刀使い、二刀流(?)といったところでしょうか。

 

その著作は今でも岩波文庫で手軽に読むことができます。僕も寺田寅彦を知ったのは全くの偶然で、写真の『柿の種』というこの「短いつぶやきのようなもの」※を集めた1冊をふと書店で手にしたことが最初でした。

※実際本文の中で寺田寅彦自身も『柿の種』を「言わば書信集か、あるいは日記の断片のようなものに過ぎないのである。」(同:p6)と書いています。

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パラパラめくってみてまず目に入ったのが冒頭の短文で、はじめは何を言っているのかよく分かりませんでした。巻頭の著者自身による「自序」、巻末の池内了による解説にもこの短文には触れていませんので、あとは読者が勝手に想像を膨らませるしかありません。

 

しばらくの間は放っておいたのですが、このところ僕がこの短文を受けてちょっと考え始めたことがあります。それは、柿の種がどう育つかは「畑の土のよしあし」で決まる、つまり、人間も同じように人間としてどう育つのかはその「環境(畑の土)」によって決まるのである、ということです。

 

人間としての性格や考え方、価値観というものは、生まれた瞬間から決まっているものではないというのは割と正しい事実であると思われます。

この世に新しい生を受けた子供がどんな両親(もしくはどちらかだけ、またはどちらもいない)、どんな家庭、どんな家(物理的な住居だけでなく、家系や家柄も含む)の中で育ち、どんな食事をし、どんな教育を受け、どんな学校(友人・集団)で過ごしてきたのか、そしてその家庭の経済的な状況から、それらを満足に受けられたのか、満足に受けられなかったのか、これらの様々な要素が複雑に作用した結果、子供は「一個人」としての人格と価値観が形成された大人になっていきます。

(僕も含めてまれに形成されていない大人もいますが。。。)

 

人間の成長も樹木の成長も環境次第。考えてみればごくごく当たり前のことではありますが、これまで自分自身がどんな「畑の土」で育ってきたのか、自分の子供はどんな「畑の土」で育てているのか、たまには振り返って耕してみるのも、「よい畑の土」を生み出す大切な行為なのかもしれませんね。

 

この『柿の種』には他にもこのような「考えるきっかけ」を与えてくれる短文がたくさん詰め込まれていますので、可能であればこの先もいくつか紹介していきたいと思っています。

 

 

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