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サラリーマンの鶏肋随想

大して役に立たないが、捨てるには惜しいもの。サラリーマンに哲学は必要か。

駅そばの思い出

旅の記憶

 サラリーマンが駅そばを慌ただしく啜っている姿を見て、「大変だなぁ。」と思っていた学生の時代から早十数年。いつの間にか慌ただしく啜っている側になってしまった今日この頃ですが、駅そばを食べるとたまに思い出す光景があります。

 

僕の父の実家は山形で、東京から毎年帰省するときはいつも上野から新幹線で福島に行き、そこから在来線の特急つばさ号で板谷峠を越えて山形盆地を目指していました。

 

行きだったか帰りだったか定かではありませんが、おそらく福島だったかと思います(もしくは途中で立ち寄った郡山だったか)、新幹線のコンコースにポツンとあった立ち食いそばのお店に不意に父が立ち寄り、そこで食べたのが駅そばの初めての経験でした。

小学校低学年か、それよりもっと下の幼少の時代でしたでしょうか、「立ち食い」という行為そのものに何となく気恥ずかしさを感じながらも、丁度自分の背丈にあった「カウンター」も用意されており、「大人だけでなく、わざわざ小さい子向けに場所を設けるなんてなんていいお店なんだろう」と子供ながらに感心したのを覚えています。

もちろん、この「カウンター」というのは大人向けの荷物置き場であって、決して小さい子向けの場所ではなかったことは大人になって気がつきますが。。。

 

そば1杯を食べきるのにはまだ体が小さすぎたので、確か父が半分くらい食べ、残りを分けてもらったんだと思います。あまり外食に慣れていなかったこともあり、「きつね」と「おつゆ」がとても甘いものであることに驚きつつ、「旅に出るとこんなに美味しいものにありつけるのか」と思ったものでした。

 

今や山形新幹線の開通で東京から山形へは、座ったまま乗り換え不要で行くことができるようになりました。残念ながらここにはもう駅そばが介入する時間はないですが、今でも遠い日のよき旅の思い出として僕の心に焼き付いています。

 

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 写真はJR浜松駅・東海道本線ホームにある「富士見そば」の天玉そばです。

思えば小さい頃というのはどんなことでも新鮮で、楽しく体験できていた気がします。とかく食べ物がそうで、駅そば一つとってもその体験以降、「楽しみなこと」になっていましたが、それが今や自分の中では機械的に消費するだけの早くて便利(しかも安い)な食事の1カテゴリーに成り果ててしまいました(笑)

「体験・経験」というのは人を成長させるものではあるけれども、その代償として常に自分の中の何かと引き換えにしているのかもしれませんね。

 

 


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